身長が伸びなかった7つの理由 > 日本人と世界の身長 > 低身長ワースト1は江戸時代の人

低身長ワースト1は江戸時代の人

弥生時代や古墳時代の日本人の身長が高かった理由は、おそらく1つしかない。経過時間の短さからすると遺伝子の突然変異は考えにくいので、栄養面でバランスがかなりよかったということだ。

稲作がはじまり、定住生活になれば人口が増える。その人口を養うには、魚介はもちろんのこと、鳥獣も食糧にしていく。いきおいタンパク質が摂取され、身長が高くなっていったのではないか。

ところが、古墳時代を境に平均身長が低くなっていく。その理由として、6世紀の仏教伝来がかかわっているのかもしれない。人口が増え、食糧の分配率が低下していくにもかかわらず、いたずらに生き物を殺すな、という仏教の教えは、鳥獣を食糧にする食文化を薄れさせる1つの要因になったのではないだろうか。

ともあれ、鳥獣を基本的な食糧としない日本独自の食文化は、おおいに体格に影響したであろうことは容易に想像できる。少ない食糧で効率よく生存していくには、小さな体のほうが有利となる。日本人は生き抜くために「体の小型化」を選択したとの仮説が成り立つような気もする。

その結果だろうか、男性の平均身長は、鎌倉時代には157センチ前後となり、江戸中期から明治初期にかけて155センチほどという低い平均身長となっていく。

それを裏づけるような、おもしろい資料がある。整形外科医で作家の篠田達明さんが書かれた「徳川将軍家十五代のカルテ」(新潮新書)に掲載された徳川歴代将軍の身長である。

ただし、ここに記されている身長は位牌の高さである。将軍の位牌は、亡くなったときの身長に合わせて作られたため、〃おおよそ”実際の身長をあらわしているのだそうだ。

また”おおよそ”と書くのは、亡くなったときにすぐ身長を計測すれば正確に計れるが、死後硬直がはじまってから計ると、股関節、膝関節、足関節が屈曲拘縮を起こしているため、多少は身長が低くなるからである。

その意味では、将軍の身長の正確な実測値ではないが、。おおよそ”の身長がわかるというわけだ。

さて、そこで、歴代将軍の背の高さを知って、「えっ!」とびっくりするのは五代将軍網吉の身長の低さだろう。七代の家継は8歳で逝去したから、低いのは当然だが、網吉の124センチは異様な低さである。

実父の三代将軍家光は157センチ、実母の桂昌院が146・8センチ(遺体の実測値)であれば、遺伝要素が強かったわけではない。身分柄、食生活は豊かだったと思われるので、低栄養で身長が低くなったわけでもなさそうだ。

医師でもある篠田さんは「低身長症」ではないかと推測している。その部分を引用してみよう。

低身長症の原因には内分泌異常、骨系統疾患、栄養不足、愛情遮断性小人症などさまざまなものがある。綱吉の肖像画をみると均整のとれた体つきをしており、特別な症状は認められない。したがって特発性(原因のはっきりしないとき医者はこういう使利な用語を使う)あるいは成長ホルモン分泌異常による低身長症と思われる。

こう解説しているが、筆者も同書に掲載されている綱吉の肖像画(徳川美術館蔵)を見る限り、成長ホルモン分泌異常による低身長と思わざるを得ない。病名としては「成長ホルモン分泌不全性低身長症」となる。

ただし、絵師が綱吉の勘気をこうむらないように、デフォルメして描いていないと仮定してのことだが……。

ついでに歴代将軍(綱吉、家継を除く)の平均身長を計算すると、155・16センチとなる。前期と中期以降を分けて計算すると、綱吉を除く江戸前期の六代目までは158センチ、家継を除く中期以降の将軍の平均身長は153・14センチである。

最後の将軍、十五代慶喜が抜けているのは、徳川家の菩提所。三河の大樹寺に祀られている歴代将軍の位牌が十四代までしかないからである。

慶喜は1913年(大正2年)11月22日に死去したので、それまでの徳川将軍の位牌安置の儀式にならわなかったためであろう。遺体は東京の谷中墓地に葬られた。

身長ははっきりしないが、写真がかなり残されているので、それによって身長の低さが見てとれる。また、1867年(慶嘸3年)3月にイギリス、フランス、オランダの公使と会見した様子を、倫敦新聞は「大君は身の丈け常人に異ならず」と報じているというし、晩年の慶喜に仕えた侍女は「御前(慶喜)は、いまのお人が想像なさるよりはるかに小柄で五尺そこそこでした」と回想談で語っていたそうだから、152センチ前後の身長だったようだ。

女性についても、同1 は、徳川家の江戸菩提所の1つ、芝の増上寺に埋葬された将軍夫人の遺体から計測された身長を記している。

増上寺の裏手には徳川家の霊廟があり、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人と正室・側室10人の遺体を埋葬してある。1958年(昭和33年)、増上寺の改修工事が行なわれた際、将軍家の墓も開けられて、計測可能な遺体の身長もチェックされたのだという。

秀忠の正室.崇源院は火葬であったために計測はできなかったそうだが、9人の身長が明らかになっている。

これを見ると、夫人たちの身長は、すべて140センチ台だ。平均値を出すと148.8センチで、江戸前期(六代目までの夫人)では143.7センチ、中期以降では145.35センチとなる。夫人の場合は、将軍とは異なり中期以降
のほうが身長の平均値は高い。

では、江戸時代の女性の平均身長は、どうだったのだろうか。

前出の「日本の歴史が十倍おもしろくなる」は、江戸前期の男性は155センチ、女性は143センチ、江戸後期では156・4センチと144.7センチと推定している。

江戸前期と後期の身長の高さは逆転しているものの、先に書いたように、江戸中期以降の男性は155センチほど、女性は145センチぐらいが一般的な身長だったといってもよさそうだ。つまり、日本人の最低身長時代は、江戸時代で決まりというわけである。






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